宮川ダビデ ブルネロ クチネリ
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FASHION 07 Oct 2018

【対談】イタリアの自然の中で人間主義的経営を実践するブルネロ クチネリ。 美、愛、富…幸福のあり方に気づかせてくれるブランド/ゲスト:宮川ダビデ(ブルネロ クチネリ ジャパン社長)

濱口 重乃 Sigenori Hamaguchi
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イタリアのデザイン(ファッション、インテリア、プロダクト)や文化に精通するゲストとの対談連載「シゲノリ・サローネ」。ホスト役をつとめてくださるのは、エディターの濱口重乃さん。

宮川ダビデ 濱口重乃 ブルネロ クチネリ対談連載「シゲノリ・サローネ」ホスト役の濱口重乃さん(左)と、今回のゲストの宮川ダビデさん。

今回のゲストは、ブルネロ クチネリ ジャパン社長の宮川ダビデさんです。最高級カシミアを中心とした高品質な素材を使い、「スポーツ・シック・ラグジュアリー」をコンセプトとするイタリアのブランド「ブルネロ クチネリ(BRUNELLO CUCINELLI)」。ブランドの哲学や日本での展開について、そしてイタリアと日本をつないで活躍を続ける宮川さんご自身のことなども伺いました(前口上:Webマガジン「SHOP ITALIA」編集長 平林享子)。

イタリアのブランドの中でもユニークな存在

濱口:ダビデさんと初めて会ったのは、僕が『GQ JAPAN』の編集長だったときだから、10年くらい前ですね。その頃、ダビデさんはトラサルディ ジャパンの社長をされていて、ミラノで一緒に食事をしたこともありましたね。その後、ダビデさんは、ブルネロ クチネリ ジャパンの社長になられて…。

宮川:ブルネロ クチネリ ジャパンができたのが2014年で、僕が社長になったのは2015年4月なので、3年半ぐらいが経ちました。アメリカでは20年前から展開していて、日本ではまだ4年くらいですが、おかげさまでとても順調です。

濱口:同じイタリアのブランドでも、カルチャーはちがいますか?

宮川:ブルネロ クチネリは、イタリアの中でも珍しい、ユニークなブランドだと思います。ファッションブランドの多くは本社がミラノやローマなどの大都市にありますが、ブルネロ クチネリは、ペルージャ郊外の小さなソロメオ村に本社があって、その村に工場や職人を養成する学校もあります。人間の尊厳を大事にして、働く人、その家族、地域の人々もみんながハッピーであるように、ということが大前提にあり、ブランドの成り立ちからしてとてもユニークです。もちろんビジネスですから利益を出すことも重要なんですが、それよりも、人間の幸福や社会をよりよくしていくことを最優先に考えます。

ブルネロ クチネリ ソロメオソロメオ村、ブルネロ クチネリ本社の周辺。 写真提供/ブルネロ クチネリ

ブルネロ クチネリ本社。建物は14世紀創建の古城を修復したもの。 写真提供/ブルネロ クチネリ

濱口:確かに、ブルネロ クチネリのような企業哲学をもったブランドは他にないですね。くわえてプロダクトも比類がないほどすばらしい。僕にとって、完璧なブランドです。なぜなら、素材のよさとデザインのよさで、圧倒的にクオリティが高い。そして、毎回のコレクションで披露してくれるコーディネートが秀逸なんです。まさにブルネロ クチネリにしかできないコーディネートを見せてくれるので、スタイリストやデザイナーなど目の肥えたプロたちにもファンが多いんですよね。

宮川:一度着たら、ずっと長くファンでいてくださる方が多いですね。

濱口:日本の男性はコーディネートをする際、個々のアイテムや色や柄に目が行きがち。自分の体形をふまえた全体のバランスやシルエットの大切さに意外と気づいてないんです。その点、ブルネロ クチネリは格好のお手本といえます。なにしろ全体のシルエットが本当に美しい。スーツやセットアップのシルエットの美しさなんか、ため息が出るほどです。

宮川:エイジレスなもの、時代を超えて長く着られるものをつくろうとしています。もちろんトレンドも取り入れますが、もっと大きな視点でファッションを提案しています。

濱口:カラーバリエーション、カラーコーディネートが美しいんですが、ソロメオ村でつくっているからこその色、自然の色なんですよね。

ブルネロ・クチネリ氏とソロメオ村について

ブルネロ・クチネリ氏。 写真提供/ブルネロ クチネリ

ブルネロ・クチネリ(Brunello Cucinelli)氏は、1953年イタリア、ウンブリア州カステルリゴーネ生まれ。1978年、カシミア・ニットブランドである「ブルネロ クチネリ」を設立。1982年、妻の故郷であるウンブリア州ソロメオ村に移り住む。14世紀に建てられた古城を購入して修復し、1985年、そこに本社を置く。村の教会や住民の家などの修復を行い、企業としての経済活動とともに、地域の経済活性化に取り組む。2013年には職人の技術を継承するため「ソロメオ職人学校(School of Crafts)」を開校。

「人間としての尊厳を保つこと」をポリシーに、「人間主義的経営」をさまざまなかたちで実践する。中世の面影を残すソロメオ村には劇場、図書館などがつくられ、自然の豊かさとともに芸術に親しめる環境を整えている。クチネリ氏は、ソロメオ村に「精霊の宿る村(Borgo Dello Spirito)」という別名をつけた。

ブルネロ・クチネリ氏。 写真提供/ブルネロ クチネリ

いつでもリラックスできて、エレガントでいられる服

濱口:メンズとレディースの割合はどのくらいですか?

宮川:レディースが7割、メンズが3割です。だいたいどの国でもこのくらいの割合です。

濱口:そうなんですか!? メンズのほうが多いと思っていました。

宮川:ブランド名が男性の名前なので、メンズのブランドというイメージがありますが、実はレディースのほうが売上は大きいんです。

濱口:ターゲットは何歳ぐらい?

宮川:コア層は、35歳から45歳です。

濱口:意外と若い年齢層なんですね。

宮川:実際に買ってくださるお客様はもう少し上の年齢層も多いんですが、実年齢と関係なく、精神的にも見た目にも若々しいほうがいいじゃないですか(笑)。ブルネロ クチネリの服は、着る人の年齢を限定しませんし、ビジネスでもプライベートでもシーンを選びません。いつでもエレガントでいられて、着心地がよくてリラックスできることを大事にしています。

濱口:ブルネロ・クチネリさんは何歳ですか?

宮川:1953年生まれだから、65歳です。会社を始めたのが1978年で、今年で創業40年です。

濱口:40周年記念のイベントなどは予定されてるんですか?

宮川:クチネリさんは、会社の創立記念イベントなどには興味がないんです。ただ、財団(ブルネロ&フェデリカ・クチネリ財団)として芸術文化のサポートをしたり、世界中で起こる災害被害への支援をしたり、そういったことはつねに行っています。

濱口:スマートだし、上品ですね。CSR(Corporate Social Responsibility=企業の社会貢献)というか、最近やっとみんながその重要性に気がつき始めたことを、クチネリさんは40年前からやっているんですね。

宮川:ここ数年、ずっと力を入れてきたのは、ソロメオ村に3つの大きな公園をつくる「美に関するプロジェクト(A Project for Beauty)」で、今年(2018年)の秋に完了したばかりです。

「美に関するプロジェクト(A Project for Beauty)」とは

ソロメオ村、農業公園内のワイナリーとブドウ畑。 写真提供/ブルネロ クチネリ

自らをソロメオ村の所有者ではなく管理人・番人と位置づけ、荒廃していた土地に本来の美しさが戻るように尽力してきたクチネリ氏。本社を含む敷地に「産業公園」、サッカースタジアムや青少年のスポーツ活動のための「スポーツ運動公園」、地産地消用に野菜や果実を栽培する「農業公園」という3つの公園を完成させた。

哲学者が服をつくっている

濱口:創業から40年で世界的に有名なラグジュアリーブランドとして成長したわけですが、なぜ成功したかというと、先ほどダビデさんがおっしゃったように、コンセプトに人間主義があり、みんなが幸せな社会をつくることを目標として掲げてきたことがあるんでしょうね。

宮川:最初から順調だったわけではなく、小さなカラーカシミア製品の会社からスタートして、苦労もたくさんあって、それでも続けてきた結果なんですが、そのおおもとにあるのは、クチネリさんの哲学であり、先見の明だと思います。たまたま彼にとって身近な事業がアパレルだったわけですが、もしもそれが車だったら、 フェラーリの競争相手になっていたかもしれない。そのくらいの情熱とヴィジョンを持っている人です。

なんといっても、ソロメオ村というクリエイションの環境がすばらしいんです。1982年にクチネリさんが村に移り住んだとき、村はすっかり寂れていたんですが、少しずつ村を綺麗にしていった。その村に住んだ理由は、クチネリさんの奥さんの故郷だからというロマンチックな理由もありますが、美しい自然の風景の中でものづくりをすることや、小さな村でその地域に根ざした経済活動をするということが重要だったんですね。

ソロメオ村、12世紀創設の聖バルトロメオ教区教会。 写真提供/ブルネロ クチネリ

濱口:とても倫理的で、哲学者が服をつくっている感じですね(笑)。

宮川:ソロメオ村のあちらこちらに、古代ギリシアの哲学者やローマ皇帝など、クチネリさんが影響を受けた先人の言葉が掲げられています。クチネリさんは村を散歩して、自然の中で季節を感じながら、そこでインスピレーションを得ているんです。

濱口:クチネリさんがソロメオ村に本社を移したのは1985年ですよね。80年代といえばグローバル金融資本主義が台頭して、日本も“なんでも大きく高く”のバブル景気に浮かれていた。そんな時代に独自の道を進まれていたのがすごいですよね。日本でも昨今ようやく、地方創生ということがよくいわれますが、ちょっと次元が違うかな。クチネリさんは40年前からそれを実行していて、今や世界中のお手本になっています。

宮川:自然が豊かなこと、ものづくりにおいて職人の技術が大事にされていることなど、日本とイタリアの文化は似ていると思います。ですから日本でもブルネロ クチネリの思想やものづくりに共感してくださる方は多いですね。

濱口:現代の消費者はただプロダクトを表面的に見るだけではなくて、そのプロダクトを生み出すブランドの思想やストーリーを重視していて、そこに共感できることが大事になっています。そういう意味で、ブルネロ クチネリの売上がグローバルでとても調子がいいというのはよくわかります。

宮川:偽物のブームであればいつか終わりがきますが、本物には終わりがないということだと思います。そして、クチネリさんが今、フォーカスしているのは「人間としてのプライバシー」です。パソコンやスマートフォンが普及して便利になった半面、プライベートの時間と空間が侵食されて、人間にとってハッピーな状態ではなくなっている。ですから、仕事から完全に解放されて余暇の時間を過ごすことの大切さを忘れてはいけないと。もちろん自社でも、勤務時間が終わったら残業しないで会社の電気を消してみんなで帰りましょうとか、家に帰ったらE-mailをチェックしないとか、そういったことを率先して行っています。

イタリアで好きな場所はトスカーナのワイナリー

濱口:ダビデさんがブルネロ クチネリ ジャパンの社長になったのは、どういった経緯だったんですか?

宮川:クチネリさんと何回も会って話をしているうちに、彼の哲学や人間性にとても惹かれましたし、面白いブランドだと思いました。会社の雰囲気もとてもいいし、スタッフがみんな若くて、パッションをもっている。僕はパッションをもっている人が好きなんです。アメリカでは20年前から展開していて、ヨーロッパとアメリカではすでによく知られていましたが、日本ではジャパン社がローンチして1年ほど経過したタイミングでした。日本でこのブランドを広めていくというミッションに対して、とてもチャレンジしがいがあると思いました。クチネリさんはいつも判断が早く、何事もスピーディーに実行できるので、その点でも僕にはとても合っています。

濱口:お話を聞いていると、ダビデさん、仕事ばかりしてるんじゃないですか? 土日はどうしてるんですか?

宮川:ムエタイをやっているので、休みの日はジムに行って体を動かします。ジムに行ったついでに、都内の店舗を見に行ったり…。

濱口:やっぱり仕事してる(笑)。

宮川:仕事というより、好きなことだから(笑)。

濱口:バカンスは、やっぱりイタリアに行くんですか?

宮川:イタリアにはビジネスでよく行くので、バカンスのときはむしろ他の場所に行くことが多いですね。イタリアに住んでいる家族が日本にときどき来るので、日本で過ごすこともありますし、僕は海が好きなので、家族と一緒に東南アジアのビーチリゾートへ行ったりします。

濱口:イタリアに帰ったときは、どこに行くんですか? 好きな町はどこですか?

宮川:生まれ育ったトリノも好きですが、父がトスカーナでワイナリー(トスカーナ州スヴェレート近郊にあるブリケッラ農園)をやっているので、年に1度くらいは必ずトスカーナへ帰ります。海が近くて、とても美しい場所です。そこでオーガニックのワインやオリーブオイルをつくっています。アグリツーリズモもやっていますので、ぜひ遊びに来てください。ワインも大好きなので、将来は兄たちと一緒に父のワイナリーを継ぎたいと思っています。

◆対談構成/平林享子
◆写真/アレッシオ・ミラネスキ

PROFILE

宮川ダビデ Davide Miyakawa

ブルネロ クチネリ ジャパン社長
1970年、イタリア・トリノ生まれ。ジョルジェット・ジウジアーロとともにイタルデザインを創立した父・宮川秀之とイタリア人の母のもと、7人兄弟の末っ子として生まれる。父がトスカーナでオーガニックワインを生産するブリケッラ農園を始めたため、16歳のとき家族でトスカーナへ移住。1995年、日本へ。イタリア製家具のインポート事業や、F1とサッカーのマネジメント、ライセンス事業に携わる。その後、セルジオ タッキーニ ジャパン社長、トラサルディ ジャパン社長を経て、2015年4月より現職。

ブルネロ クチネリ ジャパン 公式サイト http://www.brunellocucinelli.com/ja/

WRITER PROFILE
濱口 重乃 Sigenori Hamaguchi
濱口 重乃 Sigenori Hamaguchi

慶應義塾大学経済学部卒業。1994年平凡社に入社し、グラフィック誌「月刊 太陽」の編集に携わる。2001年文藝春秋に入社。女性誌「CREA」のデスクを務めた後、2005 年ライフスタイル誌「TITLE」編集長に就任。2008年コンデナスト・ジャパンに移籍し「GQ Japan」編集長に就任。フリーランス編集者を経て、2013 年ハースト婦人画報社にエディトリアル・アドバイザーとして入社。2014年インテリア&ライフスタイル誌「ELLE DECOR」編集長に就任。2017年7月よりハーパーコリンズ・ジャパン シニア・エディトリアル・ディレクター。

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