ヤマザキマリ
COLUMN
CULTURE 09 Aug 2018

被せてなんぼのイタリア的コミュニケーション術|ヤマザキマリさんのイタリアエッセー

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長い年月、30年以上も海外と日本との往復を繰り返していると、それぞれの社会環境における倫理や習慣、そして社会的マナーといったものの使い分けがうまく調整できなくなることが多々あります。メディアの進化とともに情報化も進み、世界はグローバル化していると思われがちですが、実際日本でヨシとされていることがイタリアでは「は?」と反応されてしまうことは少なくありません。同じようにイタリアではヨシとされていても、日本でそんなふうに振る舞ったらオワリでしょ、ということは多々あります。

そんな中でも、私が日本滞在中、特に困ってしまうのは相手の会話が終わらないうちに自分の言葉を「被せる」という行為です。

私は17歳のころから、自分が言おうとしていることがしっかりと言い終わらないうちに、他の人の言葉に被せられてしまうという環境で育ってきました。日本では、人の話をしっかり最後まで聞けない人は社会性失調と見なされ、周りから避けられたり嫌われてしまうことが必至ですが、イタリアでは違います。ああ、またこいつオレの言葉が終わらないのに被せてきやがったな、と思っても、誰もそこで大人しく引き下がったりはしません。相手が被せてくるのならこちらも被せる。会話のやり取りの中でこうした執拗な指相撲のような展開がなされるのは、ごく日常のことと言えます。

テレビの討論番組なんかを見ていると、雰囲気がヒートアップしてくると相手の発言が完結まで待たれることはほぼありません。それどころか司会者まで討論者の会話に被せてくるので相当に騒々しい有様になりますが、そういった多数の人間の混雑した発言の中から聞くに値する言葉を見つけ出すのは、イタリアの人にはわりと当たり前のことのようです。

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私の周りにも会話被せの達人が沢山いますが、一番の強豪は姑でしょう。姑はせっかちでもあるので、人の会話が半分にも達していないところで、「あなたが言いたいことって、つまりああでこうでそうなのね?」と顛末を先読みしたり、なかなか出て来ない言葉を思索していると「あれ?」「これ?」「それ?」と何個でもサンプルを投げかけてくるので、彼女のせいで話そうと思っていた事柄が軌道から反れてしまうことがよくあります。

かつて、10人ぐらいの親戚や友人一同が集まって定例の日曜食事会をしていた時のこと、会話の焦点が「虫」になりました。大の虫好きである私はまず日本ではイタリアと違って虫はもっと生き物として尊重され、構造の精巧性から見た目の美しさに至るまで何もかもが素晴らしい生き物なのだと熱弁を振るっていました。するとそばに座っていた男性から「じゃあゴキブリみたいな生きものもマリにとっては魅惑の生き物なの?」と問われ、わたしは虫への偏見はいけないことだが、ゴキブリはあの脂っこさと神経質なすばしこさが嫌いだと答えました。たまにブンブン跳んだりしているから甲虫と間違えて捕まえてしまうことがある、と言うと、そこに居たイタリア人全員が「ええっ、ゴキブリって跳ぶの!? 初めて知った!!」と驚愕の表情を浮かべました。

実は私はその日曜の食事会では全く他の人の会話に入り込めず、1時間ほど聞く側に徹していたわけですが、やっとその「ゴキブリが跳ぶ」という言葉でその場にいる全ての人の注意力を集めることができたのでした。ですから皆が嫌がる虫の素晴らしさをやっと語れるチャンス到来! と意気も絶頂にまで上がっていたのですが、隣にいた姑が甲高いボリューミーな声で被せてきたのはまさにその時でした。イタリアと日本のゴキブリの違いをこれから丁寧に説明しようとしていたその瞬間、姑が「あ、そうだ!! 聞いてくれる!? そういえばあたし、アフリカのマリでこんなにでっかいサソリにやられそうになったことがあるのよ!」と両手を1mほど広げて、私の姿も言葉も隠す様に全身で迫り出してきたのです。もちろん人々の注意力は余す事無く姑の“誇張”巨大サソリに持って行かれてしまい、私のゴキブリ比較論は断絶したまま、永久に忘れ去られてしまいました。

その数日後、近所のカフェのウェイターの青年から「そうそう、日本には空を飛ぶ巨大サソリが居るんだってね!?」と質問されたときはもう返す言葉もありませんでした。古代ローマの時代から弁証法(問答法)が未だに教育の中にも活かされ、小学校から口頭試問を受けてきている彼らにとって、(もちろん人にもよりますが)自分の思った事をしっかり力強く主張するためには時には場も読まない、慮らない、という場合もあるのはわかりますが、こういう人達の中での暮らしに慣れるのも相当大変です。

自己主張だけでなく、感情の表現にしても同じです。大事な人に対して感じていることを上手く言葉に出せるかどうか、イタリア人であってもその表現が苦手な人は、例えば日本のような過剰な自己主張を抑えることがむしろ美徳とされる国を選んで移り住んだりするようです。

イタリアでは人に被せられる率の多い私ではありますが、日本においてはやはりどうも被せてしまうパーセンテージが圧倒的らしく、友人たちと会話をしていても「ほらほら、ヤマザキさんがまた被せてきた!」などと言われてしまうことが頻繁にあります。その都度、ああここは日本だから気をつけなければと心がけはするのですが、もともと子供の頃から思った事、感じた事は内側に溜めておけなかった私にとって、風通しの良さ重視のイタリア式コミュニケーションは性に合っていたのかもしれません。姑にはとうてい勝てませんけどね。

【ヤマザキマリさんのイタリアエッセー 連載記事の一覧はこちら】

【初出:この記事は2017年3月13日、初公開されました@AGARU ITALIA】

WRITER PROFILE
ヤマザキマリ Mari Yamazaki
ヤマザキマリ Mari Yamazaki

1967年、東京都生まれ。17歳で絵画の勉強のためイタリアに渡り、国立フィレンツェ・アカデミア美術学院で、油絵と美術史を専攻。1997年、漫画家デビュー。『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。著書に『国境のない生き方』(小学館)、『男性論』(文春新書)、『スティーブ・ジョブズ』(講談社)、『プリニウス』(とり・みきと共作、新潮社)など多数。シリア、ポルトガル、米国を経て、現在はイタリア在住。2015年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2017年イタリア共和国星勲章コメンダトーレ綬章。現在、新作『オリンピア・キュクロス』(集英社グランドジャンプ)連載中。

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